中仙道自歩記其ノ五 2002.01.19
中仙道ウォーキング第5回目は、御嵩→各務原(最終目的点は、JR駅南にある「銭湯めぐみの湯」)です。

まず前回の最終地点名鉄「御嵩」駅へ。JR多治見駅で、もりたんと合流。JR太多線9:00発美濃太田行で「可児」駅まで。そこで名鉄「新可児」から、名鉄御嵩線に乗り換えて「御嵩」へ向かいます。「御嵩」駅到着が、9:50.早速、徒歩歩のスタートです。

国道21号線に沿って進みます。この21号いわゆる昔の国道で、歩行者を意識した作りになっていません。片側に歩道はあるんですが、そこは溝。コンクリの蓋の上を歩くわけです。歩くことには不便はないんですが、大型のダンプが結構ビュンビュン飛ばしてますので、突風に煽られるヨロつくこと頻繁。ガードレールもないので、とっても怖いです。鬼の首塚at御嵩
道路沿いに、まずは「鬼の首塚」。鬼が居たんでしょうか?そして、誰かさんが、退治して、鎮魂のための塚なんでしょうね。これはどこにでもありますね。

冬にしては、まずは暖かい一日、快調に進みます。そして加茂郡御嵩町から可児市に入ります。可児市は、以前は加茂郡広見町といわれ、近年団地が多く出来、市に昇格しました。それに伴い区画整理しながら、かなり道路整備が進んでおり、昔の面影がない。ここら当たりは、高校時代の同級生も多く、けっして無案内な所ではないんですが、風景一変。驚くばかりです。とにかく、21号を歩いていれば、太田橋まで行けるはず、ってことで、もくもくと足を進めます。そして太田橋です。この橋も、ご多分に漏れず、自動車優先橋。歩道がない・・・。写真の橋が太田橋です。
太田橋北岸より
太田橋北岸川原から
指差す対岸(南側:そちら可児市から橋を渡ってきました)に、渡しの乗船場が昭和の初期までありました。この川が木曽川(右が上流)です。こちらの岸(美濃加茂市)は見ての通りコンクリートで固められていますが、公園として整備されています。また、最近はパッとしませんが「日本ライン下り」の乗船場もあります。ここにて、昼食。御嵩駅から10キロ地点。ちょうど12時。時速5キロ、う〜んまあまあですね。

木曽川北、美濃加茂市側は、南の可児市側に比べて、土地が低く、西隣加茂郡坂祝町まで、高い堤防に覆われています。南から、木曽川、堤防、中仙道、国道21号となっています。美濃加茂市の中心は国道21号の北に位置してますので、中仙道沿いは寂れた裏通りになっています。その分、車の通りもなく、とっても快適に歩けます。

太田宿(本陣)の手前の民家塀に立てられた、案内板(右写真)。真ん中に、「中仙道太田宿」、右に「伏見宿三里半」、左に「鵜沼宿二里」と、浮かし彫りになっていますが、まったく見えないですねw。いつころのものかわかりませんが、さほど古いものではない、という直感です。

太田宿の本陣は、残っています。写真を撮ったつもりでいましたが、写っていませんでした。すみません。「うだつ」の上がった立派な屋敷が残ってます。その向かいに、今でもやってる造り酒屋があって、立派な土蔵もあって、当時がしのばれます。太田宿から、現在の坂祝町を抜けて、鵜沼宿へ向かいます。坂祝町までは、木曽川沿いの堤防を歩きます。中仙道は、多分その堤防と国道21号との間をうねうねしてたと思いますが・・・。途中、神社やお寺も見えてましたので、その近辺を中仙道は通っていたと思うます。

坂祝町のはずれで、堤防は終わります。そこで、また国道21号に合流。ここ当たりは、山間を木曽川が突っ切ったところで、巨岩、奇岩ありの日本ライン下りの絶景ポイントでもあります。木曽川、国道21号、JR高山線が並走しています。ほとんど歩道がなく、ガードレ〜ルがないと、まったく歩く気がしない所です。途中のドライブイン西側から、木曽川に下りる階段があり、暗渠を進んで、国道21号とJR高山線の下をくぐり、山に入ると、あっと驚く、昔ながらの中仙道が突然あらわれます。今回は、アスファルト道路を歩いてきたんで、ちょっと懐かしさもあり、一方とっても大変w汗をしっかりかいちゃいました。うとう峠頂上の案内板
うとう峠入り口

上の小さい写真二枚。これは、恵那や木曾の写真ではありません。人がすれ違う程度の道。前にも書いたんだけど本当に、皇女和宮は大名行列で、中仙道を通って江戸に行ったんでしょうかね????。これを登り切ると、うとう峠の一里塚があります。「字が小さくてみえんぞ〜」申し訳ないw。「うとう」とは、「鵜の頭」「鵜の東」でしょうか、地名の鵜沼の東に位置します。うとう峠途中

一里塚の看板を見て、頭を左に向けると、なんとそこには公団住宅のアパート群が・・・・。ここから「鵜沼宿」までは新興団地の中を進みます。う〜ん、写真なんか撮る気はまったくおこらない。団地の中の散歩です。どうも、中仙道から外れてしまったようで、道に迷うというか、中仙道に迷ってしまいました。それでも、さすが5回目ともなると、見つけてしまうんですね〜、中仙道。わかるんです、雰囲気で(わははは。旧街道ぼ見つけ方、後述します。

国道21号の南を平行している道が、中仙道です。道路沿いに、「本陣」「脇本陣」があります。と、言っても今は個人住宅です。というか、もともと個人の家が「本陣」「脇本陣」として使われていた、というのが本当でしょうね。立派な門を持ったお屋敷です。昔からの名門なんでしょう。「桜井」さんの表札がかかっています。

ここまで来ると、目標地点の各務原はすぐそこ。よって、「めぐみの湯」もすぐそこ、のはず・・・・。

しかし、疲れた体と痛む足・・・・、辛い、痛い。まだか?・・・。

お〜、JR各務原駅の看板発見!よしゃ〜着いたぞ!

しかし、「めぐみの湯」はどこや?・・・きょろきょろ・・・お〜発見!

そこから20分余、やっと着きました。風呂に浸かって、ビールで乾杯。はあ〜、極楽極楽。到着時間午後4時ちょうど。総時間6時間10分。おおよそ26キロ。休憩除くと、時速5キロ程度です。さすが、後半はペースダウンしますね。次回は、2月予定。岐阜を過ぎ大垣の手前まで行けると思います。銭湯探さなくちゃ!

旧街道の見つけ方:by中仙道オタクのもりたん作(はいな手伝い)

@道は自然にうねっています。直角に曲がってい道は街道ではありません。意図的にそうしてある場合もありますが(大井宿の本陣周辺)、街道そのものは緩やかにうねっている場合が多いです。
A街道沿いに寺、神社があります。但しお墓などは、街道筋にはありません生活圏から離れたところが、基本ですね。宅地造成で、ぽつんとお墓がある場合がみられますが、そこは基本的には町はずれなんですね。
B古い、大きなお屋敷があります。当然リッチな方が基本ですが、そうとは限りません。少なくとも、”昔はそうだった”お屋敷があります。
C石積みの家があります。ブロック積みは、最近のセンス。昔は石を積む、当然ですね。
Dうらびれたお店屋さんが両サイド散見できます。水谷弘のオロナミンCの看板、あるいわ松山なんとかのボンカレーの看板があれば、完璧ですね。それらのお店屋さんの大半が、店を閉めている、ことも重要です。酒屋、呉服屋、下駄屋(靴屋ではありません)が基アイテムです。もちろんサッシはアルミではありませんよ。
E竹やぶがあります。石を積むのは小規模な所ですね。ちょっとした崖は、竹を植えます。土留めですね。竹は根を横にはりますから、とてもいいのですが、最近がその根をいやがって使いません。立派な孟宗竹ならば、間違いなくそこの上か下に、道があった証拠です。崩れると、みんなが困ります。
F石仏があります。お地蔵さんですね。道祖神ってのです。山、石、道は、信仰の対象です。当然それを祭った祠もある場合も多いでしょう。
G最後に、匂いです。ここが、あやしい、っていう感じです。これは、いままで中仙道を歩いてきた事が大きくものを言います。道に迷って、中仙道から外れても外れた事がわかります。どんな近代的な町のなかでも、中仙道か否か、分かります。あまり当てになりませんが、親父の勘ですね。でも、外れません。

最後に

山道は上り下りが大変なんですが、平坦な市街地も大変なことがあります。それは景色が変わらないと言う点です。気分転換がとってしづらい訳で、大きな目標物は、すぐそこに見えるんですが、なかなか近づかない。過ぎても、なかなか遠ざからない。これは、疲れてくると、ひしひしと堪えてきます。今、濃尾平野の端っこを歩いているわけですが、目から入ってくる情報と実感するものとのギャップは、即疲労感に繋がります。

Annex
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