美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
 桜に見とれる ま爺やん

 五条川の サクラという名所は こちらでは知名度は殆どナイけど 1000本の桜が川の両堤に咲いてる光景は 壮観だったんでしょうね。 五条川 って 何か響きがよくってきれいな清流を想います。 

でも、そんなに寅さんと接近していて 会えなかったのは残念至極! だね。 老いかけても追いいかける 人生 これからだ!・・・・は 来夢来人まーやん発の 名言至言だと 老いらは思っとりますよ

クジライ青春譜  〜 フーたろのポケット 〜  其の13
☆ 幸福の 真っ赤なブリーフ?
クジライ桶屋町店は 中区の錦の繊維問屋街にあり、ワイシャツ・ネクタイ・シャツ・下着からカフスボタン等々 卸しの値段で
 買うことができた。 但し、下着なんかは1枚というワケにはいかず どうしても1ダースで買うということになる。 おいら達がいる 寮のある桜山店の店長になって間もない頃の Oさん(当時、24才)は自身の立場を気にしない風に 存分に茶目っ気?を発揮したり、いたずらをしていた。 

Oさんは 桶屋町店に通う誰かに ブリーフを買ってきてもらったのである。 それもどう血迷ったか 赤い色の を頼んだのである。 当時はまだ、昭和40年頃のコト 頼まれて買ってきた誰かさんも きっと恥ずかしい思いをしたんだろうね(ボ、ボクのじゃ、ありません・)・・・とかなんとか 言い訳をしたんじゃあないかな? そしてその1週間後、桜山の屋上の洗濯物干場は・・・・・・

おいら達は 見てしまったのだ! 眼を奪うかのようにして 真っ赤なブリーフが ずらり 1列 7枚 はためいていた!!色彩的には 確かに鮮やかなんだけど 男モンのパンツは どうしても穿いていた 中身が連想されて・・・どうもイカンなぁ! その夜には 真っ赤な 七連ブリーフ は皆の知るトコロとなり Oさんは奥さんに呼ばれて 『 Oさん、いい加減にしなさいよ 』と やんわり?とたしなめられたんだって・・・それからは 一度も 赤いブリーフが干してあることはなかった? それでも Oさんは 落ち込むこともなく、皆の話題になった事を 満足してるかのように していて・・・・ほとぼりのさめた頃に 又、奥さんに 叱られるいたずらをしたのだ・・

 
                             想い出 ポロポロ フーたろ


消費税に無消費税に無頓着な理容業界
想い出 ポロポロ フーたろ呑

桶屋町 懐かしい店が出てきましたね。 マスターが店長の頃 よく 狭い通路を通って 隣の喫茶店に行ったことがある。地下の 狭苦しい店の中に 6・7人が働いていたのかな・・・

俺んち2代目 店長になったんだけど 忙しくてね 調髪料金が400円ぐらいの時に2万円ぐらい売り上げていたんだよ・・・今なら20万円 俺んち当時給料1万円 しかし俺んちは店長なんて恥ずかしくて 言いにくいんだよね。 僅か3ケ月の店長だから その間に寅さんと一緒だったことがあるんだ。

思い出っていうと クジライでクリスマスで 余興をやったことがある・・・二等兵物語 ヨッチャンが上等兵 俺んち二等兵 ある日 外は雪が降っていて寒くて 凍ってしまうという想定に 上官に叱られて お前外に立っていろと言われ 外に立つ・・・俺んちは自己催眠術に凝っていて 身体を硬直させてしまう技をもっていたから 実際に凍ってしまったかのように カチンx2になったんだ・・・

その俺んちを 足と肩を それぞれ椅子に乗せて 腹の部分は椅子なし それで空間の俺んちの腹の上に  大橋さん 小坂さんもう一人は定かでないが3人が上に座る 足の膝に 金の灰皿を入れておいて ズボンの上から叩くと コンという音がして 本当に凍ってしまったかの演技が 受けたんだことを思い出したんだ!

クジライ退店後 その年の4月から 青年団の幹部になったんだ 女子は芳子たちの年代 ある日 上高地に幹部でキャンプを2泊3日で行ったことがある・・・

その時も催眠術をやって 受けたことがあるんだ・・・キャンプから帰ってすぐに 芳子と付き合うようになったんだから 縁というのは摩訶不思議   

                    脳内に残る思い出 まさ不思議            
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