綿         
                                 

                                        加藤琢也さん(瀬戸市)

  昭和16年。岸商工大臣から『企業整備令』が出された。父は兵隊で、私はまだ窯業高校の生徒だったので、叔父の会社と合同することになり、『瀬922』という番号が付けられた。数量制限があり、組合でもらった証紙を、皿やどんぶり1枚1枚に貼る。貼らずに、ちょっと売って、警察に捕まった人もあった。18年になると、石炭ももらえなくなり、売れないし、人もいないので、軍需産業にならざるをえなくなり、「海綿鉄」をやることになった。赤黒い土を乾燥させ、匣鉢に、粉の石炭と詰める。焼けると穴のあいた海綿鉄になり、製鉄所に送る。戦後、陶磁器に戻るとき、かもいなどに付いた、鉄粉を掃除するのに手を焼いた。