赤ん坊をおぶって逃げたら「非国民」としかられ                       

            

            谷口志ようさん(尾張旭市)

  隣の信用金庫は全焼した。私の住み家も全焼し、店はぐちゃぐちゃになった。私は、1歳の子をおぶって、近くの実家へ逃げた。そうしたら翌日、警察署に呼び出されて、いばった警察から「逃げるとは非国民だ」とひどく叱られた。くやししかった。           

 

全焼16軒

              梶田昭司さん(瀬戸市)

空襲は、昭和20年3月12日。全焼したのは、道路の西側では、加藤政谷商店など7軒。道路の東側では、私の家を含め6軒と倉庫。川の北側では3軒くらいだった。                     

                 

  一家が全滅しないよう       

          伊藤アサさん(瀬戸市) 
 一家が全滅しないよう、夫と男の子は、裏の防空壕に、私と女の子は、家の中の防空壕に、逃げ込んだ。                               

  うちは不発弾

          田中光枝さん(瀬戸市) 

  夫は仕事で、遠くへ行っていたうちに落ちたのは不発だった。道路に、ちょうど田植えをしたように、焼夷弾が、いくつも燃えていた。朝、西の方を見たら、みんな焼けていて、その人たちがうちへ来て泣いていた。うちだけ、焼け残って、申し訳ないみたいだった。何か食べてもらった。 川の北側では、3軒くらいだった。

   郵便局は燃やしていけないと     

                          山田武雄さん(瀬戸市)     
 消防団長として、兵隊関係の書類がある郵便局(現在信用金庫)は、燃やしていけないと思って、そちらへホ−スを向けた。その後、召集がきた。四十歳代を召集するようじゃ、終わりだと思った。