本土決戦隊に動員された窯業学校

                                        高木孜郎さん(瀬戸市)

  20年6月頃、当時、私は窯業学校3年生で、空襲が配給所や軍需工場などに類焼しないよう、宮前や窯神橋南などで、強制立ち退きの作業に動員された。家の瓦を外して、家に綱を掛けて引き倒した。また道徳やノリタケの工場への勤労動員では、アンパンと言って、爆薬を持って、敵の戦車のキャタピラ−にひかれる、訓練もさせられた。その後、渥美半島に本土決戦隊として訓練させられた。