水野           

                               佐分  悦治さん(名古屋市)

  私は、昭和13年に愛知時計電機に入社。15年に愛知航空機に移籍。16年に永徳工場に移った。 19年頃になると、空襲の被害を避けるために、工場疎開が急がれた 。瀬戸方面には、翼、燃料タンク、フラップカバ−、燃料・油圧等の配管パイプの工場が疎開した。 私は疎開させた部品の所在を確かめるために、水野の国民学校や榎戸、伊保の飛行場を廻っていた。 水野の地下工場の中には入っていない