女学校の医務室で手術            吉田益三さん

   私は、けがをした足が化膿して、女学校の医務室で、軍医に切開手術を受けて、2週間くらい通った。          

   その学校は、海軍の兵舎になっていて、長髪に油をつけて、英語を使う軍士官たちがいて、何か違った世間のようだった。また、リンチされる声も聞え、リンチされた兵隊が、医務室へ運ばれて来た。名古屋空襲の夜は、裏山に上がって眺めた。名古屋電気工業学校か、名古屋工業学校も一緒に来ていたが、家を心配してか、彼らの一部が、無断でうちに帰ったというので、私たちも全員校庭に並ばされた前で、連帯責任の往復ビンタを食らった。6月には工事が完了したのか、帰されて、疎開先の国府宮の近くから矢田の鉄工所へ動員されたが、鉄道も不通で、ほとんど通えなかった。