水野工場第4区(C坑)

  地蔵島鉱山の方の工場は、小学校前と違って大きく、一抱えもある太い丸太で組んであり、トラックに旋盤を乗せてはいることができ、複雑な形をしていた。カンテラがずっとぶら下げられていて朝鮮人達が、昼夜兼行でつるはしで掘らされていた。ある日、夕方に入ったら出口がわからなくなって、出るのに朝までかかったこともあった。旋盤は牛の車のようなものに乗せられ、トラクタ−のようなもので引っ張られて来るのだが、坂道が上がれないので、道の脇に鈎のようなものがついていて、それを引っ張りながら上がって行った。この穴は、グリスのようなものが入れられていたようで、戦後みんなが物を取りに入って火事を起こし、長いこと燃えた。

                                   加藤清己さん(瀬戸市)