加藤    忍さん(瀬戸市)

  父が勤めていた三菱大幸は、京都の学校を借りて移転したので、私たちは、母の実家の水野へ疎開し、瀬戸高女の近くに住んだ。 瀬戸高女では、女学生は勤労動員に出かけて、兵隊たちが何か作業をしていた。 働いている工員か兵隊が、近くの農家へ食べ物をもらいに来て、憲兵に見つかって、往復ビンタされるのを見た。 工場を撤去する時は、木を組んだウインチを牛に回させて、機械などを引き出した。 第2区   坑は素堀で、戦後その近くを開拓した。暑い時は坑の中に入って涼んだ。落盤の跡もあり、配水槽の配管も下まであった。 夜になると地蔵島の坑(第4区)へ焚きものにする材木を取りに行った。 ドラム缶にカ性ソ−ダがあったので、石けん代わりに使った。 金目のものがなくなった小学校の坑(第1区)で、電線をショ−トさせて遊んだ。