金子光令さん

                  (当時 機械部長 茨城県取手市)

     朝日出さんは、ゼロ1地区工場長だったか、船方工場で機械の組立工場長だったから。     私は、瀬戸でも機械部長のような地位で、翼の部品や胴体の整備用品や組み立て治具の係で、作業は十数軒の町工場でやっていて、主に、町工場を回っていた。確か、100地区とゼロ1地区とあって、覆土工場と地下工場と町工場を利用した組立工場に別れていた。
  
   アセンブリ−で組み立てる予定だったが、そこまでいったかどうか分からない。ゼロ1地区は、10棟か、倉庫を含めても15棟だった。大きさは、いろいろあって良くわからない。愛知航空では「彗星」が大量生産機種で、その他に「流星」もあり、それはタンクを兼用したフロ−トをつけていて、それも途中で捨てて突っ込んで行った。爆弾だけの「桜花」もあった。私は、工場をたたむ仕事をして、その後47年まで愛知機械にいて退職した