丹羽  明さん(当時姫小松組 瀬戸市 故人)   
                             

                                                                                                 

  青池の下、河川敷と呼べるような荒れ地に、15棟の工場が建てられていた。(現在の井上さん寺島さん宅から浅野さん宅まで) 現在の赤重橋のところにも、工場ができるまで橋はなく、池まで細い道が続いていただけだった。ア−ル型に屋根を作って覆う覆土工場だった。屋根の上に、切った松をのせてカモフラ−ジュしようとするが、すぐ枯れてしまった。天井からしずくがたれた。水野をゼロ地区、こちらを100地区と呼んだ。主に、水上艇を作ることになっていた。私は姫小松組に属し、東野牧場の事務所で部品を揃え、各工場からの注文に従って部品を出す係であったが、まだ整理もできず、組み立てのもとになる治具も揃わない内に、終戦になった。1号機が出たといううわさがあったが、本当かどうか知らない。東野牧場を本部にしていた。私たちは、立派な寺の書院を借りて住んでいた。もう一室には、女子挺身隊が入っていた。何月のことかは忘れてしまった。