古村  敏雄さん(海部郡)

  愛知県商業学校3年生の1クラス50人ほどが、19年10月頃瀬戸に動員された。                                 
 瀬戸警察署の横の陶原小学校の北の棟の裁縫室に寝泊まりして、菱野の工場の作業に行った。私たちがやったのは、3号とよばれた一番大きな建物と、その南の10号で、厚さ5分幅5寸長さ3〜4mの杉板を、15枚ほど重ねて曲げて、屋根を作っていった。屋根を作る時は、下に柱に渡した梁があるが、屋根ができるとそれを取り除き、屋根の下には柱も何もない。 作業は、動員学徒と大工さんでやった。5月27日は海軍記念日で、この日だけは仕事が半日で、昼から沢の奥の池で泳いだ。 腹が減るのでいろいろ工夫した。家から金を送ってもらって、3号の西に4軒ほどあった農家でいもを買って、蒸しておいてもらって、作業の帰りに食べた。 また、家から大豆を煎って枕の形にして送ってもらい、こっそり食べた。ところが一人がお腹をこわしてバレてしまい検査されたら、4斗樽に3斗ほどの豆が出てきた。 風呂屋が追分にあって、その前の店がトコロテンとコウライのはざしたものを売っていたので、トコロテンが伸びるのも構わず、風呂に入る前に頼んでおいて風呂から兵隊が出ないうちに、先に出て食べた7月に瀬戸を出て、田代小学校に動員になり、名城大付属の理工科2年生100人と焼け跡の片づけをした。