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★ 変化の無い高齢者暮らしに「活力」を持つために
老人の一人暮らしとは、何の束縛も受けない実に気楽でのんびりとしたものであるが
それは身体が適度に健康で有る事と、精神的に孤独にも順応できる対応能力が必要である。
そして贅沢で無いがある程度の金銭的裏付けが有り外部の人達と積極的に付き合える事だ。
堕落した生活を覚えると益々加速的にぐうたらになり、掃除や洗濯まで嫌になって来る。
町内や外部の人達との交流を深め、出来得ればなにがしかの目標を持つことが大切である。
常に楽しい課題を持ち、それを日常生活に取り込み実行する楽しみを持つ事が重要である。
楽しい事の繰り返しが自己満足となり、結果的に心身の若さを保つ要因であると思います。
★ 高齢者生活の課題と楽しみ
高齢者の一人暮らしに課題と楽しみを持つ1ケ月(最近)
<現在の課題> @ 月に5〜6日程度の仕事らしいこと(2件の客先へ)
<楽しみな事> @ 3358会の皆との交流
A 友人達とのゴルフ(月に3回くらい楽しむ)
B 課題を作り自分の為に良いことをする(精神的な楽しみ)
最近は、毎月こんな事をしながら日々退屈しないよう変化を求めて積極的に暮らしてます。
★ 令和6年になってやってみたかったサプライズ
最愛の家内が逝去しやっとひとり暮らしにも慣れ、時に淋しささえ味わうようになった。
孤独のなかで様々考え事をするのも日課となり、長年お世話になった人への思いを考える。
せめて「3358会」の親しい友へ誕生日祝いのサプライズをしようと計画をしてみた。
決して金銭的にゆとりが有るわけではないが、長年付き合ってくれた友への感謝をしたい。
要らぬ節介かも知れないが、82歳のこの歳で自分の為に自己満足をしたくなった様だ。
しばらくの間、自分の小遣も減ってしまうが、思い立った気持ちを大切にしたいと思う。
気持ちだけのプレゼントで有るが、果たして「想い」が伝わり喜んでくれるであろうか?。
★ また一人、仕事上の友人が急ぎ旅立ってしまった
仕事の上で長年付き合ってきた友人が、ガン治療の甲斐も無くこの6月24日に逝去された。
生粋の営業マンで心優しい穏やかな人柄が素敵な人だったが、私よりまだ若いはずである。
抗がん剤治療が辛く嫌がっていたのでステージの進行を早めてしまった様だが何とも辛い。
6月初め頃、町内役員を引受ける事になりその資料作りを相談され二人で作成したばかりだ。
様々御世話になったものの恩返しも出来ず来てしまったが心から哀悼の言葉を「ありがとう」
★ 久しぶりに3358会を南知多でサプライズ開催
久しく山(下呂)での開催が続いていた3358会を南知多の美舟でやることとなった。
内容がマンネリ化しいつも同じ事の繰り返しだった同級会に少し工夫をしたいと考慮した。
丁度6月に誕生月を迎える級友が4名いたので、誕生日祝いのサプライズを考えてみた。
この歳になると誕生日はそんなに嬉しいものでは無いが、皆に祝ってもらえば気分も良い。
しかしながら、喜んでもらえるプレゼントの品物を考えるのは中々大変な事だと実感した。
初めての試みであるゆえプライベートでやることにしたが少しは感激してくれただろうか?
★ 同級会、誕生日サプライズの品物調達に
いよいよ迫ってきた3358会のサプライズに合わせ、プレゼント品の調達に出掛けた。
男の保彦君はいつも一緒しているゴルフのボール1ダースで良いが、女性陣の品物で悩む。
長時間考えた結果、初夏を迎え軽装で胸元が目立つシーズンでのお洒落なハーフスカーフに。
ただし、田舎多治見の街中では売っておらず、土岐アウトレットへ出掛けて調達しようかと。
モールへ行って見るも広すぎて何処の店にあるのか検討も付かず、結局訪ね歩き半日要した。
結果、素敵なシルクスカーフ3点を調達し、誕生日サプライズの準備が万全に整い一安心だ。
★ 先に旅立ってしまった家内の誕生日に想う
本日5月20日は、逝去した家内の誕生日であるが生前はショートケーキ程度で有ったな。
それでも慎ましやかだった彼女の嬉しそうな様子が今でも想い出され申し訳無い気持ちだ。
思い立ったときに何事もやっておかないと、すべてに於いて現在から過去へは絶対戻れない。
この「ひとりごと」も、1行40字で5〜6行程度でまとめるのも大変で老化防止に役立つ。
200字程度で意思表現をするのは難しいことであるが、伝わら無くても自己訓練と考える。
文章表現が上手く出来なくなった頃が、人生に於けるシオドキなんだろうなと思っている。
★ 家内の一周忌法要を終えて(昨年3月12日逝去)
桜を愛でることのないまま最後まで苦しみと闘い続け別れの言葉すら交わす事の出来ない
まま旅立ってから早くも一年の月日が過ぎようとしている。 家内の一周忌にあたりささ
やかな供養を済ませたが、再び生前の後悔が蘇り何とも言えない悲しみと悔しさが痛烈に
襲いかかってくる。 生前「生まれ故郷の神戸の地を訪ねてみたい」と何度も口癖のよう
に言っていたのにもかかわらず結局は実現してやることが出来なかったことが本当に申し
訳なく思い、今更ながら自分の薄情さと優しさの無さが悔やまれて悔やまれて仕方ない。
あのときほんの少し無理をすれば、少しだけ日程の調整をすれば望みに応えられたのに!
幾多の苦労ばかり背負わせ本当に楽しみの少ない人生にしてしまったことが悔やまれて仕
方がない、後悔とは実に空しいものである。 今になって痛烈に感じるが、自分には出来
過ぎた連れ合いで「本当に良き女房」だったなあ。 法要に参列してくれた子供達や孫達
が帰った後、一人淋しく遺影と向かい合いもう語るとことのない家内の写真に愚痴をこぼ
す「一周忌法要」となった。 また明日から家内が与えてくれた余分の人生を精一杯悔い
の無きよう楽しく元気に過ごそうかと思う。 これが家内に対する供養にもなるかと。
★ 級友達と新年会を開催(3358会)
例年は忘年会を開催していたが、今回は皆の都合で新年会を開催することになり参加した。
1月17日の予定であったが、心配していた天候も当日だけ暖かい快晴に恵まれ幸運である。
楽しみにしていた新年会もいつも通り楽しく、級友達の暖かさに触れあっという間に終る。
一部都合のつかない級友を除き15名もの仲間が集まり、たわいの無い嬉しい時間を過す。
少しずつ年輪を重ね立派な高齢者達となったが、気持ちだけは中学生のままで付き合える。
本当にかけがえの無い仲間達で、我が人生に於いて大切な心の支えとも言える親友である。
★ 年始早々多難を感じる閏年の幕開け
大きな能登半島地震で新年が明け、大半のテレビ局が地震の緊急報道を一斉に伝えている。
自然災害とは言え、被災地は実に気の毒な事であるが本来めでるべき正月が一挙に地獄化。
四年に一度の閏年にあたるが、自然や政治を含め各国のエゴイズム等、問題の多い年かな。
当家においても息子のかみさんの父親が、年始早々に逝去され77歳の人生を全うされた。
大して年齢の変らぬ仲間の逝去に心が痛み昨年の家内のことを思い少しばかり複雑な心境。
人それぞれとは言うがそんなに残されていない人生を如何に過ごすべきか考えさせる念頭。
★ 管理人日記を振り返り独り言を
3358会ホームページに「管理人日記」頁を開設してから既に11年の月日が経過した。
平成24年4月(2012年)に初回の日記を掲載して以来、早くも10年以上経ってる。
光陰矢の如しとは良く言ったもので、10年ひと昔しの年月が流れてしまったことになる。
今読み返して見るとこの10年間、本当にいろんな事があったなー。良く続いたものである。
この日記は、1行40文字位で5〜6行程度の200から240文字でまとめようと試みた。
初めて見るとこの範囲でまとめるのが結構難しく、ある意味ではボケ防止には役だっている。
これからもその時々の雑感を日記として続けて見たいが、はたして心情が伝わってるのかな?。
★ 今まで乗ってきた車の履歴を更新(57年間)
初めて自動車運転免許を取ってから、今日まで乗って来た車をふり返ってみた。
25才 ブルーバード 2年乗った 初めて中古の車を友人から買った
27才 サニークーペ 5年乗った 初めて新車を買いうれしかった
32才 コロナマークU 5年乗った 少し大きいグレードアップで新車を買った
37才 ニッサングロリア 3年乗った 排気量グレードアップで中古車を買う
40才 トヨタクラウン 4年乗った 中古車の2000クラウンを買う(程度が良かった)
44才 トヨタクラウン 5年乗った 3000の新車に買い替えをした
49才 トヨタクラウン 5年乗った グレードをロイヤルに買い替えした
54才 GMの左ハンドル 3年乗った 会社から中古車を専用車で借りる
57才 ウイングロード 5年乗った 左ハンドルから国産新車になった
62才 エクストレール 12年乗った 山道を走りたくて四輪駆動車にした
73才 トヨタアリオンA18 8年乗った 山行きの回数も激減し優しい車に変更
81才 トヨタアリオンA20 現在の愛車 良い出物の中古車が出て車屋の勧めで
( 集大成の車として税金・走行性能・予算等を考慮し落ち着いた黒色の車を購入 )
以上、約12台の車に(4〜5年平均)乗ってきたが、多分最後の愛車になりそうだ。
「最高のパートナーだった君へ」 (独り言)
桜の開花を愛でることなく旅立ってから、今年もあと50日ほどを残すのみとなりました。
深秋を迎えたものの気象変化の激しい今年の秋は短く瞬く間に初冬の訪れになりそうです。
その後、そちらの世界で元気にやっていますか? 少しはその暮らしに慣れて来ましたか?
紅葉がこちらの里山にも訪れ始め、秋あかねも澄み切った空で飛び回り秋を告げております。
君の居ないこの季節は本当に淋しいね、話しかける相手の居ない空しさを強く感じています。
決して贅沢や愚痴を口に出さずよく家族の為に尽くしてくれた本当に「素敵な女房」でした。
俺も家事のまねごとが少しずつ上手くなり、君ほどではないが洗濯や掃除も何とかやってるよ。
そのうち君を訪ねそちらへ行きますが、それまでは最愛の君を想いながら精一杯頑張ってみる。
★ 秋の到来に気づきダラダラとした日々の雑感(独り言)
家内が旅立ってから早や7ケ月を過ぎたが相変わらず捜し物に不自由をしている状態が続く。
生前、いかに家庭に無頓着であったかが今更自分に降りかかり、反省と共に後悔の連続だ。
朝晩の冷え込みにようやく秋の訪れを感じるようになったが、今年の秋は短い予感がする。
9月に終わる予定であった「インボイス制度」への対応がずれ込みどうやら年内掛かりそう。
以前に比べ思考力やひらめきが衰え、物事を解決するのに時間が掛かる様になり潮時かなー。
ただこのプログラミングを離れてしまうと頭の回転がさらに劣化し「ボケ」てしまいそうだ。
★ 残暑の厳しさと戦いながら親友との楽しいゴルフを(独り言)
翌日の3358会を前に、前日の9月13日大阪からの徹氏を引きずり込みゴルフ会を行う。
久方ぶりのゴルフと相変わらず猛暑の中でのラウンドに最終まで回れるのか不安のスタート。
全くの無風に30度を超す炎天下での老人同士、内容は別にして本当に楽しい時間を有り難う。
ラウンドアップ後のコーヒーを飲みながら、良く回れたものと互いに激励と賛辞を交わした。
明日はまた級達との楽しみな集いがある。共に八十を過ぎ連日の遊びをこなし大したもんだ。
良き友に恵まれるのは本当に嬉しいことであり、いつまでもこの友情を大切にしたいと願う。
★ 妻のささやかな初盆を送り火で終え想うこと(独り言)
旧盆の13日が雨天のため迎え火で招待する事が出来なかったが、短い盂蘭盆会を終えた。
丁度5ヶ月が過ぎ少しばかり慣れた頃のお盆に祭壇に座る家内の写真が再び愛おしく感じる。
写真の顔を見ると多少収っていた後悔の念が再燃するものの詫びと共に懐かしさもどこかに。
しかし老齢の独り身には心に残る数々の想い出がよみがえる淋しい4日間でも有る事を実感。
子供や孫達も来てくれ何とか初盆を終えたが、盆飾りを片付けながら少しの安堵感を味わう。
いずれ貴女の元へ行くことになるが、せめてもう少しの間だけ自由な時間をくれと嘆願した。
★ 傘寿の大きな坂を下りながら想うこと(独り言)
この度、4年ぶりに合同会を行う事が出来、まだまだ元気な級友達と嬉しい交友が出来た。
この歳になると某かの人生に於ける「自慢できる足跡」が欲しいと想うが何一つ無い現状。
木曽の田舎を旅立ってから既に60年を越し、人生の集大成(インテグレート)に入った。
我が零細企業も「インテグレーション」と言う名称にしたもののまるで存在感のない会社だ。
喜寿の大台に経ち、本年を以て廃業するつもりでいるが結果家内に苦労を掛けただけの足跡。
唯一誇れる大切な「3358会」であるが名前だけの拙い幹事で良いのであろうか自問自答。
★ 本年3月に中止をしていた3358会を再開した
6月の梅雨時になり3月に行う予定だった集まりを東京組を含め総勢18名で行う事が出来た。
丁度3月の予定時期に家内が逝去してしまい、急遽中止となった弔い合戦の合同会となった。
異国へ旅立ってから3ケ月が過ぎ少しばかり独身生活に慣れた頃の開催で級友達の暖かみを。
4年ぶりの東京からの参加に、地元精一杯の工夫をし故郷の暖かみを感じて頂いた「もてなし」
1年ごとに開催出来にくい環境となり、合同で集まれる機会が少ないと思うだけに嬉しかった。
★ 早くも6月を迎え本年前半の最後の月になった
例年の初夏とは少しばかり違う気候変動の激しい5月だったような気がするが温暖化現象か?。
家内がいなくなってから我が家の庭が雑草に覆われ、暇を見て手入れをしていた様子が伺える。
かと言って、木々の剪定や草刈りをする気力もないまま夏草が暴れ放題の庭が常に気になる。
今月は久しぶりの同級会が2週間後に予定されており、気分転換出来る皆との再会が楽しみ。
今年の後半に向けての活力を充分チャージし行動的な己を取り戻す機会にしたいものである。
★ 本日、四十九日法要(満中陰)を行う
家内が逝去して七週目を迎え、四十九日法要で来世の極楽浄土への旅立ちを見送った。
彼女のために子供達・孫達だけで集まり、本当に内輪だけで生前を忍び感謝を込め送った。
常に思いやりの有る優しい態度で、子供達と全力で向かい合いながらも孫達には優しかった。
気ままな春先の天候で心配していた雨も納骨が終わるまで何とか持ちこたえてくれたようだ。
きっと彼女の心配りだと思うが、四十九日と言う大きな一区切りに安堵感と淋しさが交錯する。
★ 今更遅すぎるが亡き愛妻への感謝を
家内が旅立ってから早や三週間を迎え、時に触れようやく淋しさが実感として襲ってくる。
小さな仏壇に飾ってある遺影から、何か言いたそうな顔でこちらを見ているような気がする。
本当に優しかったなあー、まともに見られるのが辛く遺影は孫を見守る暖かな横顔にした。
我が家へ嫁いでくれて53年も頑張ってくれ、子育てに始まり母親の面倒を
看てくれ、後年は孫達のためにあらゆる努力を惜しむことの無い人でした。
少しばかり短い楽しみの薄い人生にしてしまった事を今更ながら後悔する。
なぜ俺をおいて先に逝ってしまったんだと遺影の前でつぶやくも空しさが残る。
右の写真は、まともに叱られないようと75歳くらいの横顔にしました。
実に性格が現れており、常に優しい慈悲深さに満ちた様子が気にいっている。
★ 心に大きな風穴が空いてから早や2週間を過ぎてしまった
小さな額に入った写真を見ながら、生前の横着を詫びるもなぜかむなしさだけが残る。
なぜもう少し彼女のために時間を割いて上げられなかったのか、本当に薄情だったな。
果たして倖せだったんだろうか?、随分と苦労を掛けてばかりの人生にしてしまった。
今更に後悔してもどうしようも無いことはわかっているが気持ちの置きどころがない。
出来得ることであれば今一度彼女と暮らしたい、そして思いっ切り抱きしめて上げたい。
★ 令和5年3月12日の早朝、家内がついに力尽き永遠の眠りへ
令和4年秋から病院・自宅で病と闘っていた家内が私の元を離れ遠く異国へと旅たった。
彼女のために何もして上げられなく、楽しい事の少ない人生にしてしまい後悔のみが残る。
最後の6ケ月間は本当に二人して自宅で過ごし、実に中身の濃い日々を送れたこと倖せだ。
あまりにも早い旅立ちに、全く気持ちの整理が出来ておらず何とも情けない自分が哀れだ。
53年間辛抱して連れ添ってくれ、沢山の良き想い出を残してくれた無二の女房に有り難う。
★ 令和3年・4年を振り返ってみる
令和3年には、小生が初夏に名大病院へ入院し様々な体験をして極めて多難な年だった。
令和4年に入り、夏頃まで元気だった家内の体調が悪化し急遽入院でガンと診断された。
その後自宅治療になり、週一回の訪問治療を受けながら早くも4ヶ月間が経過している。
いずれにしても、令和3年から4年は我が家にとって全く予期せぬ多難続きの年だった。
傘寿の大台を迎え、せめて少しでも穏やかな令和5年を老夫婦二人して迎えたいものだ。
★ 家内が退院し自宅介護が始まる
八月の終りに入院をしていた家内が自宅介護となり本日久しぶりに我が家へ帰って来た。
抗がん剤投与を試みるも強い痛みに絶えかねて、一回のみでこの治療を中断してしまう。
自宅へ戻りほっとしたのか、ベッド上の家内は病院にいるときより多少元気で安らかだ。
あらゆることが初めての体験で、全てに戸惑うことばかりであるが精一杯の介護を覚悟。
爽やかな秋らしい陽気になりつつある時節であるが昨年とは全く異なる淋秋になりそう。
★ 地球温暖化の影響か気象に夏らしさが見られない
今年の夏は、本来の夏の気候にあらず暑い梅雨時のような天候が続きついに八月が終る。
長い間すこぶる元気だった家内の体調が八月に入り不調をきたして、入院生活となった。
普段家のことを全くやらない夫はすべて何も解らず、ゴミ捨てまで出来ない有様となる。
改めて家内の有り難さを実感し、電気釜や洗濯機の操作を覚え時に料理まですることに。
楽しいことが少なく、孫達の世話に明け暮れる毎日にしみじみと妻孝行の不足を猛反省。
★ 相変わらず「コロナ」騒動が継続している
昨年の名大病院生活からもう一年過ぎたが、体重も20キロ程軽くなり比較的健康である。
当HPへの投稿もすっかり関わりが少なくなり、根気の無さをつい歳の性にしてしまう。
自分を含め級友達の体調の変化に胸を痛め、これがいわゆる高齢者になった証しを実感。
月一回の楽しみ「級友ゴルフ」も中止を余儀なくされ、親友の入院経過を心配する日々。
何とか健康な事の大切さを痛感し、今のうちに級友達との出会いを一回でも多くしたい。