|
THE OSMONDS (The Osmond Brothers) について 『オズモンズ』 ( 『オズモンド・ブラザーズ』 から後に 『オズモンズ』 に改名) 当時、私が夢中になっていたスーパーアイドルグループ。... 今でも変わらず好きですが...。 それは、1970年代に社会現象を巻き起こしたとも言われた " スーパーポップアイドルグループ " 『THE OSMONDS (The Osmond Brothers)』 寂しいことに...いまでは、オズモンズの話題に夢中になってくれる仲間が近くにいません... その前に私自身、1959年の8月20日生まれ(昭和34年)であることを先に告げておきます。 私が初めて洋楽というものに興味を持ったのは、生まれて初めて洋画を観たのがきっかけでした。 その洋画は、マーク・レスター主演の 『小さな恋のメロディ ( Melody Fair )』 というイギリス映画でした。 それまで映画と言えば 『ガメラ』 とか 『ゴジラ』 ぐらいしか観ていなかった私は、生まれて初めて観る 『洋画』 というだけで "ワクワク" した記憶があります。 しかし、それ以上に記憶に残っているのが、ビー・ジーズ (Bee Gees) が歌っていた主題歌 「メロディ・フェア(邦題:小さな恋のメロディ)でした。 この曲がしばらく耳から離れなかった...。 当然、レコード屋さんへ行って 「メロディ・フェア ( Melody Fair / Bee Gees )」 を買ったのはいうまでもありませんね。 それからは、洋楽っていうジャンルに興味を持ち始め、買いもしないのに学校帰りにレコード屋さんへ通っていた記憶があります。 その頃、レコード店とかラジオでよく流れていた曲が、『オズモンズ』 の 『ワン・バッド・アップル(One Bad Apple)』 でした。 この曲は1971年2月20日に全米ビルボード第1位に輝き、さらにBillboard Pop Singlesチャート5週連続を記録し、その年のビルボード年間チャートTOP100の4位を記録しました。 【素晴らしい! 拍手!】 当時、彼らはNHK放映のアンディ・ウィリアムス・ショー(THE ANDY WILLIAMS SHOW)に出演していたのと、カルピスのコマーシャルにも出ていたので存在を知っていた程度でした。 そんな彼らは瞬く間に日本中の人気者になり、ヤング・ラブ・スイング/シャ・ラ・ラ/チャンスなど日本語で歌った曲も数多くヒットしていました。 当時の人気音楽番組 『夜のヒットスタジオ』 では、その人気を反映してか、番組史上初の海外ゲストとして出演 (1969.12.22) したという記録があるそうです。 当時、日本では人気の高い外国人歌手が日本語の曲を出す事が多かった。 例として、シルヴィー・ヴァルタン(Sylvie Vartan)が 『恋人時代』、ダニエル・ビダル(Daniele Vidal)が 『オー・シャンゼリゼ』 などを日本語で歌ってヒットしていました。 そんな彼ら 『オズモンド・ブラザーズ』 に夢中になるのに、そう時間はかからなかった...。 少ないお小遣いをせっせと貯めてオズモンズのレコードを買っていました。 当時は、音楽家族であるファミリーグループが人気を博していた時代でもありました。 デビッド・キャシディーとパートリッジファミリー (David Cassidy & The Partridge Family) そして、ジャクソンファイブ (Jackson Five / The Jacksons) でした。 パートリッジ・ファミリーはドラマ上の仮想ファミリーでしたが、後に国内で放映されていたので知っている方は多いと思います。 それは、アメリカン・ホームドラマ 『ゆかいな音楽一家 パートリッジ・ファミリー』 でした。 たしか1972年頃に放映されていたので、毎回、テレビの前に釘付けになっていた記憶があります。 特に長女役のスーザン・デイ(Susan Day)が私は好きでした。 今では素敵な熟女になっているのでしょう...。 ドラマの内容は、お父さんが亡くなって経済的に大変な思いをしている母を助けようと、5人の子供たちがバンド活動しながら旅をする話でした。 母が運転するスクールバスで演奏旅行中に様々な珍事件が発生する話。 しかもアメリカ製ドラマには、100%付き物の 「聴衆の笑い声」 を仕込んだ構成で、すっごく楽しかった。 「聴衆の笑い声」 と言えば、なぜか 『ルーシー・ショー(The Lucy Show)』 を思い出すのは私だけでしょうか(笑) 私の記憶によると、1971年から72年ぐらいまでは、日本だけではなく世界中で一番人気だったアイドルグループは、オズモンズだったと思います。 あれから、50年以上経った今でも、彼ら 『オズモンド・ブラザーズ』 時代の曲を聴いています。 昨今、極稀にテレビ番組のBGMなどで 『ワン・バッド・アップル』 などオズモンズの曲が流れると嬉しくなってしまうのは私だけでしょうね(笑) おそらく、その番組の音響さんは私と同じ年代でオズモンズが好きだったに違いない! って勝手に思ってしまう時があります(笑) 先般、私の趣味のオーディオにおいて、レコードクリーニングマシンを購入してからある事をやり直そうと思いました。 それは、20年程前に彼ら 『オズモンド・ブラザーズ』 の曲をカーオーディオで聴く為に、レコードからわざわざMDへ録音しましたが、その時のレコードの音よりもクリーニングした後の方が遥かに音が良かったのです。 レコードから録音・編集したMDと自作のラベル 世界中でただ一つの 『Homemade オズモンズMD』 です。 何が変わったかって? それはスクラッチノイズ (レコード再生時のプチプチッていうノイズ) がクリーニング後に激減したのです。 なので、もう一度クリーニングしたレコードからMDへ再録音しました。 ただ、すべてのEP/LPではなく、CDで再販されているアルバムは AMAZON などで入手しているので、未だにCD化されていないレコードを中心にMD録音しました。 主に、オズモンズに改名する前... そう、つまり1970年以前のアルバム (LP) とシングル (EP) が中心です。 クリーニングしたレコードから再度、MD録音したEP/LP 【EPレコード】 ・恋はノン・ストップ ( I Can't Stop ) ・フラワー・ミュージック ( Flower Music ) ・チャンス ( CHANCE ) ・青春の光と影 ( Both Sides Now ) ・スピーク・ライク・ア・チャイルド ( Speak Like A Child ) ・ヤング・ラヴ・スイング ( Young Love Swing ) ・シャ・ラ・ラ ( SHA LA LA ) 他 【LPレコード】 ・Hello! The Osmond Brothers ・Cristmas Holiday with The Osmonds ・THE OSMONDS IN TOKYO 前置きが長くなってしまいましたが、 私の知っている 『オズモンズ』
について簡単に紹介しましょう。 ...って言っても興味を持つ人は誰もいないと思うし、たとえ間違っていても誰も気付かないと思いますが... 続けます(笑)オズモンド一家は、兄弟だけで全9人 (男8人、女1人) 父 ジョージ (George Virl Osmond / 2007.11.06没) 母 オリーブ (Olive May Davis / 2004.05.09没) 長男 ヴァール (1945.10.19 / George Virl Osmond) 次男 トム (1947.10.26 / Thomas Rulon Osmond) 三男 アラン (1949.06.22 / Alan Ralph Osmond) 四男 ウェイン (1951.08.28 / Melvin Wayne Osmond) 五男 メリル (1953.04.30 / Merrill Davis Osmond) 六男 ジェイ (1955.03.02 / Jay Wesley Osmond) 七男 ダニー (1957.12.09 / Donald Clark Osmond) 長女 マリー (1959.10.13 / Olive Marie Osmond) 八男 ジミー (1963.04.16 / James Arthur Osmond) 長男 (ヴァール)と次男 (トム)の2人は、最初からそれぞれ自分の道を歩んでいますが、残りの7人が音楽活動をしていました。 上からアラン ( Alan )、ウェイン ( Wayne )、メリル ( Merrill )、ジェイ ( Jay )、ダニー ( Donny )、マリー ( Marie )、ジミー ( Jimmy )です。 マリーだけ唯一、女の子でした。 『オズモンド・ブラザーズ』 または、『オズモンズ』 とは、アラン、ウェイン、メリル、ジェイ、ダニーの5人組をそう呼んでいました。 マリーとジミーは、ソロ活動だったため、オズモンズというグループのメンバーには属していなかったと記憶しています。 だから、たとえジミーと共演しても、 『ジミー・オズモンドとオズモンド・ブラザーズ』 または、 『オズモンズとジミー・オズモンド』 という紹介または記載でした。 彼らは、全員楽器演奏が出来てそれぞれの基本パートがありました。 ・アラン (リード・ギター) ・ウェイン (サイド・ギター) ・メリル (リード・ボーカル/ベース) ・ジェイ (ドラム) ・ダニー (オルガン/キーボード) 曲によっては、リード・ボーカルがダニー、またはウェインに...極稀にジェイが担当することもありました。 また、全員に共通するのは、コーラスの素晴らしさです。 彼らのアカペラは、最高に素晴らしかったのを覚えています。 さすが、小さい頃から賛美歌などを歌い慣れてきた訳ですね。 特に、彼らの歌うクリスマス・ソングは、今でも世界一だと思っています。 今でも、毎年クリスマスが近づくと、必ず彼ら( The Osmond Brothers )のクリスマス・ソングを聞いています。 それは、マライア・キャリー ( Mariah Carey )でもなく、ワム!( WHAM! )でもなく、ましてや、山下達郎でもない。 そう、彼ら( The Osmond Brothers )のクリスマス・ソングを聞かないとクリスマスが来た気がしないのです。 彼らの出身は、米国ユタ州・ソルトレイクシティ。 オズモンズの最初の活動は、1959年、当時はアラン、ウェイン、メリル、ジェイの4人から始まりました。 活動場所は、主に遊園地やイベント地で、当時のグループ名は、『The Osmond Brothers』 として歌い始めました。 それから4人は、父親のジョージに連れられては数々のオーディションを受けますがすべて不合格...。 それでも、その後幸運にもディズニー・ランドとの契約を機に 『アンディ・ウィリアムス・ショー』 への出演を果たします。 そして、1962年頃からダニーを参加させて、本格的に5人のメンバーで活動を始めました。 アルバム 『ハロー! オズモンド・ブラザーズ』 を発表以降、グループ名を 【THE OSMONDS】 に改名した模様。 改名後の初アルバムが 【OSMONDS / オズモンズ】(1971.2) 改名した頃は、それまでのバブルガム・サウンドからリズム&ブルースをベースにした、まさにロック・グループ 『ジ・オズモンズだ!』 と言われていました。 そして、改名後の初アルバム 【OSMONDS / オズモンズ】 に収録されていたマイク・カーブ氏プロデュースによる 『ワン・バッド・アップル(One Bad Apple)』 が見事、米国ビルボード第 1位 (1971年2月20日) に輝く! これに調子に乗ったのか、次の発表曲 『ダブル・ラヴィン』 (Billboard No.14)のイントロが 『ワン・バッド・アップル』 に激似だった時は、正直、笑えました...。 それでも、1972年からは 『Yo-Yo』 (Billboard No.3) 『Down By The Lazy River』 (Billboard No.4) 『Crazy Horses』 (Billboard No.14) 等がヒット! 一方、ソロ活動も同時にしていたダニーも、 『Go Away Little Girl』 (Billboard No.1) 『Puppy Love』 (Billboard No.3) など数多くのヒット曲を世に送り出し、 まさに " 世界のスーパーポップアイドルグループ " 『 オズモンズ 』 の絶頂期でした。 昔(1971〜1972年ごろ)、彼らのステージをテレビで放映された記憶? があります。 テレビの前にカメラ(フィルムカメラ)を用意して撮ってみましたが、まともに写っていなかった記憶があります。 その放映内容は、オズモンド・ブラザーズのライヴ・イン・トウキョウだったと思います... (定かでないが...) 自己紹介では、『 わてはダニーや...ハヤシもあるでよ!』 っていうコメントは当時、笑えましたね。 この模様は、LPレコード 『オズモンズ・イン・トウキョウ』 でも聴くことができます。 私が彼らの大ファンだった頃、大人になってからの夢? と聞かれると、必ず、彼ら( The Osmond Brothers )に会いたい! 特にダニーに会いたい! と友達に言っていましたが...今となっては、一生叶う事のない 『夢』 になってしまいました...。トホホ スーザン・ボイル ( Susan Magdalane Boyle ) が羨ましく思えるのは、私だけでしょうか? (笑) こうして、1970年代に社会現象を巻き起こしたとも言われた " スーパーポップアイドルグループ " 『 オズモンズ 』 でしたが、人気絶頂期を過ぎた頃、ダニーとマリーがバラエティ番組の 『Donny & Marie Show』 を自らの資金で始めましたが、1979年にはそのショーも続けられなくなり、オズモンズ一家はショーにかけた莫大な借金に直面。 そして、その後の彼らの活動状況など、私は知りませんでしたが、これらの経緯が 2001年 『オズモンズ物語』(原題:INSIDE THE OSMONDS) として映画化されたのは記憶に新しいです。 その 『オズモンズ物語』 のエンディング場面では、オズモンド兄弟本人たち(アラン、ウェイン、メリル、ジェイ、ダニー、マリー、ジミー)と、今は亡き母のオリーヴと父のジョージ、さらに一番上の兄(ヴァール)と二番目の兄(トム)まで登場し、両親と兄弟全員が 『ヒーズ・マイ・ブラザー』 (HE AIN'T HEAVY HE'S MY BROTHER) を歌いながら終了するというサプライズ演出です。 そして、エンド・クレッジットには、 〜 2001年 1月 家族の愛は 53人の孫と12人のひ孫に受け継がれている。 43年たった現在も、現役として活動。 数々のヒット曲を世に送り出し、今でも世界中で愛され続けている 〜 思わず涙が出てしまいました... なんて素敵な家族なんでしょう! 最後に、決して定かではありませんが... <オズモンド・ブラザーズの当時の来日状況> 1969年 4月 初来日 1969年12月 『夜のヒットスタジオ』 に番組史上初の海外ゲストとして出演 (12/22) 1970年 5月 大阪万国博覧会 【EXPO'70】 への出演と国内のDENONスタジオでアルバム 『ハロー! オズモンド・ブラザーズ』 を録音 1971年 3月 約1か月間の長期滞在の際にライヴ・アルバム 『オズモンズ・イン・トウキョウ (新宿厚生年金会館 4/17)』 を録音 1975年 3月 人気のピークは過ぎて東京と大阪だけ? の公演で滞在期間も短かったハズ... ※ 最も人気が高かった1971年〜72年での来日は、71年3月の1回のみ。 その当時の 『黄色い声援』 が聴けるライブ盤は、『オズモンズ・イン・トウキョウ(1971.4)』 と 『オズモンズ・ライヴ(1972.6)』 のみ それでは、50年以上たった、今でも聴いている 『オズモンズ』
のレコード を古い順から紹介しましょう。
【 Merry Cristmas : The Osmond Brothers 】 メリー・クリスマス/オズモンド・ブラザーズと共に (1969.12) このアルバムは、私が持っている彼らの最も古い貴重な 『クリスマス・ソング』 アルバムです。 裏ジャケットには、当時6才のジミーと9才のマリーも写っているのでレコーディングに参加しているのか? って思ってしまいますが、本アルバムの解説によると 『1963年の4人兄弟の録音です。』 と記してありました。 つまり、アラン、ウェイン、メリル、ジェイの4人による1963年の録音で、アルバムの発売時期は1969年12月です。 そして、本LPの編曲指揮は、当時の児童合唱の指導で有名だったジョージ・ワイル...と記されています。 いずれにせよ、私の所有しているオズモンド・レコードの中では、最も古くて貴重な全14曲収録アルバムです。 【 HELLO! THE OSMOND BROTHERS / ハロー! オズモンド・ブラザーズ 】 (1970.9) 私の記憶が正しければ、このアルバムは大阪万博ホールのショーに出演した時 (1970年 5/10〜5/13) の来日記念盤です。 万博に出演後、国内のデノンスタジオで録音され、同年 9月に発売された来日記念アルバムだったと思います。 また、カルピスのCMも同時に収録し国内放映されていました。 来日時は、『日本のみなさんに、僕たちをたくさん知ってもらいたくてここに来ました』 というウェインの日本語によるコメントをかすかに覚えています。 また、その為なのか日本語の歌も数曲入っている貴重なアルバムであり、私のお気に入り盤でもあります。 見開きジャケットには、オズビーズ・ファン・クラブへのお誘い欄もあります。 【 Cristmas Holiday with The Osmonds / オズモンド・ブラザーズ 】 (1970.11) このアルバムは、最初に紹介したクリスマスソングアルバム【メリー・クリスマス/オズモンド・ブラザーズ (1969.12) 】に次いで、彼らの古い貴重な 『クリスマス・ソング』 アルバムです。 ジミーも録音に参加しているので、The Osmond Brothers & JIMMY OSMOND と記載されていますが、THE OSMONDS も併記している珍しいアルバムです。 これからも長く聴くためにと思い、レコードクリーニングマシンで綺麗にしてみたら、あら、なんと! 驚くほどスクラッチノイズが減り、さらに音がクリアになった大事なレコードでもあります。 さすが、VPIのレコードクリーニングマシン HW-16.5 は凄いです! 昔買った古いレコードが、このクリーニングで蘇ります! とにかく、彼らの歌うクリスマス・ソングが今でも一番だと思っているので、私としては貴重なアルバムで毎年、クリスマスが近づいて来ると必ず聴いています。 【 OSMONDS / オズモンズ 】 (1971.2) 全米アルバムチャート第14位 彼らの記念すべき代表作 『ワン・バッド・アップル(ONE BAD APPLE)』 が収録されているアルバムです。 さらに、私の一番好きな曲 『ヒーズ・マイ・ブラザー』 も収録されている! 当時は、今みたいにプロモーションビデオを見れる時代ではなかったため、この曲 " HE AIN'T HEAVY HE'S MY BROTHER " のイントロ部分の笛みたいな音は、ダニーがリコーダーを吹いていたとは驚きでした。 最近、YouTube を見て知りました...(笑)。 また、アランが作曲した”キャッチ・ミー・ベイビー”という曲は見逃せない名曲だと思っています。 【 THE OSMONDS IN TOKYO / オズモンズ 】 (1971.9) 1971年4月17日 東京・新宿厚生年金会館での貴重なライヴ盤です。(当時は実況録音盤って言われていました) しかも、 『宮間利之とニューハード』 というバンドを率いれている当時の公演パターンです。 私の記憶が間違っていなければ、このアルバムは、たしか日本国内限定の実況録音盤だった..と思う。 ちなみに、英語版の Wikipediaのアルバム一覧 には本アルバムの記載がどこにもありません! 途中、MCのコーナーでは日本語による一人ひとりの自己紹介がありますが、何度聞いても笑えるのは私だけでしょうか? また、アイドルに対する 『黄色い声援!』 とは、まさに、このアルバムを聴けば分かります。 【 THE DONNY OSMOND ALBUM / ダニー・オズモンド 】 (1971.10) このアルバムは、ダニーの記念すべき ファースト・アルバム。 さらに、ダニーの格好いいポスター付き! が嬉しかった。 【 HOMEMADE / ホームメイド 】 (1971.11) 全米アルバムチャート第22位 個人的に一番好きなアルバムです。 おそらく、私自身、一番多く聴いているアルバムでしょう。 また、数年前に 本アルバムのCD をAMAZONから入手してからは、さらに多く聴くようになりました。 私のお気に入り曲は、映画のサントラにもなったフォーク調の 『CHILLY WINDS(課外教授)』 です。 ギターで始まるイントロ部分を何度も聴きながらギターコピーしていました...。 また、ウェインとメリルのオリジナル曲 ”キャリー”も見逃せない良い曲です。 なお、見開きジャケットを開いた状態で5人のメンバーがそれぞれ写っているのですが、右からアラン、ウェイン、メリル、そしてダニーとジェイの順番が違うのは単なる間違い? 【 TO YOU WITH LOVE / ダニー・オズモンド 】 (1972.3) このアルバムは、ダニーのセカンド・アルバム。 アメリカで60年代にヒットした曲構成で、ダニーのために選ばれた曲ばかりです。 今では、ダニーと言えばこのアルバムを思い出します... 特に1曲目の 『I KNEW YOU WHEN』 は、レコードの溝がなくなる程レコード針をトレースしたと思います。 アルバム【 HOMEMADE / ホームメイド 】と同じくらい再生回数が多く、お気に入り度が高い。 また、裏ジャケットのダニー(歌いながら椅子に座って手を伸ばしてる)の格好良さは最高です! 【 PERFECT SERIES / ダニー・オズモンド 】 レコード会社の販促企画として発売された 『パーフェクトシリーズ』 なのでヒット曲がすべて収録されている、いわゆる 『ベストアルバム』 です。 ダニーをじっくり聴きたいときは、このアルバムが欠かせません。 【 PHASE-V / オズモンズ 】 (1972.4) 全米アルバムチャート第10位 この頃が、一番格好良かったと思うのは私だけ? ご機嫌な曲 ”YO-YO” は繰り返し聴きまくっていました。 たしか、EPシングルの ”YO-YO” とは、エンディング付近で少しバージョンが違っていましたが、どちらにしろ今でも大好きな曲です。 ちなみに、SIDE-B3のアランのオリジナル ”イッツ・ユー・ベイブ”は一押しの名曲てす。 【 THE OSMONDS LIVE / オズモンズ 】 (1972.6) 全米アルバムチャート第13位 超豪華でお洒落な生地を使用した厚手のジャケット+豪華別冊カラー写真集は、たしか日本だけのバージョンだったと記憶します。 これらの特典は、まさにファンにはたまらない特典のアルバムでした。 場所は、ロスアンジェルスフォーラムのライブで、これもまさに、『黄色い声援!』 の宝庫であり、逆に彼らの歌声をじっくりと聴く状況ではないアルバムでもあります。 【 THE OSMONDS LIVE / 付録の豪華別冊のカラー写真集 全16ページ公開 】 コンサートブックとも呼ばれた、これだけの豪華な特典は他にはなかった。 この特典は、オズモンズのEPシングル 『SWEET AND INNOCENT/初恋天国』 に付いていた 三角形の 『ペナント』 よりも嬉しかったのは、私だけでしょうか? さらに、2枚組だったので価格も高かったけれど、それ以上に所有満足度が高かったです。 【 CRAZY HORSES / オズモンズ 】 (1973.2) 全米アルバムチャート第14位 ここに収められている12曲全てオズモンズのオリジナルです(拍手!) 巷でギターのリフとボーカルが格好いいと言われていた 『クレイジー・ホース』 が収録されているアルバムです。 たしか、この曲は珍しく? ジェイがリードを歌ってメリルがサブだった記憶があります。...間違ってたらゴメンなさい。 サウンド的にいろいろ試行錯誤しているかな? と思わせたアルバムでもあります。 この経験が後の、名作 【 THE PLAN 】 に繋がったのでしょう。 【 THE PLAN / オズモンズ 】 (1973.9) 全米アルバムチャート第58位 アランのプロデュースによるアルバムです。 個人的には名アルバムと言っても過言ではないと思っているので、全米アルバムチャート第58位が低すぎて信じられません! 全体的にじっくりと丁寧に作り上げた構成で、昔のブラザーズ時代とはまったく違うというか、彼らの成長度合いが確認できる貴重なアルバムです。 一つの物語が始まり...そして終わっていく。 というまさに、名構成の中の名曲揃いのアルバムだと思っています。 じっくりと落ち着いて聴けるアルバムです。 特に メリルが歌う ”アー・ユー・アップ・ゼア” は、兄弟の見事なコーラスと共に、いつ聴いても最高に感動する曲です。
【 グッド・モーニング・スターシャイン / 輝く星座〜アクエリアス】 (アンディー・ウィリアムス& オズモンド・ブラザーズ) 45回転盤 全2曲収録 アンディー・ウィリアムス・ショーにレギュラー出演していた頃で、ジャケット写真もみんな可愛らしい子供の顔です...。 【 グッド・モーニング・スターシャイン / 輝く星座〜アクエリアス 】 (アンディー・ウィリアムス& オズモンド・ブラザーズ) 33 1/3rpm盤 全4曲収録 先に紹介した【 グッド・モーニング・スターシャイン / 輝く星座〜アクエリアス】 とジャケットは同じですが、このEPは全4曲入りです。 全4曲ですが、オズモンド・ブラザーズが参加している曲はA面の1.2とB面の2です。 【 青春の光と影 / スピーク・ライク・ア・チャイルド 】 (1968.?) ウェインがリードボーカルとして歌い上げている名曲で、当時何度も何度も聴いていました。 他のアーティストもこの名曲を歌っていますが、どうも私的にはオズモンズでないとしっくりこないのはなぜでしょう? 『スピーク・ライク・ア・チャイルド』 は、しっとりと歌い上げており、ダニーのバックコーラスにおけるハイトーンが綺麗に溶け込んでいて、まさにオズ・ハーモニーそのもので素晴らしい仕上がり! 何度聴いても飽きません。 【 恋はノン・ストップ / フラワー・ミュージック 】 (1968.10?) ジャケット写真をみると末っ子のジミーが写っていますが、レコーディングに参加しているかは不明です。 このレコードは、1971年 3月にユニ・レコードから再販されたものですが、ジャケットの記述によると1971年 4月より2年半前に録音されたナンバーと記されています。 ちなみに、B面のフラワー・ミュージックは、1966年〜67年頃にサンフランシスコを中心にフラワーミュージックが流行し、そのまま曲名となった曲で、私的には大のお気に入りで、終盤にはダニーのハイトーンが輝いて聴こえます。 【 ヤング・ラヴ・スイング / シャ・ラ・ラ 】 (1970.7) 両面とも日本語版で、シャ・ラ・ラは末っ子のジミーも参加しています。 両面とも、作詞・作曲・編曲すべて日本人なので、伴奏(デノンオーケストラ)など正に当時の 『日本の歌謡曲そのもの』 っていう感じです。 この曲、なぜか、落ち込んだ時に聴くと不思議に元気が出てくるんです(笑) 【 チャンス / グリーン・スリーヴス 】 (1970.10) ダニーが日本語で歌った曲で、歌詞のなかでキッスの部分を恥ずかしそうに歌っていたのを覚えています。 この 『チャンス』 も 『ヤング・ラヴ・スイング / シャ・ラ・ラ』 と同様、当時の『日本の歌謡曲そのもの』 っていう感じです。 B面のグリーン・スリーヴス (イギリス民謡) は、服部克久氏による編曲で、しっとりと歌い上げている良い仕上がりです。 【 メリー・クリスマス / オズモンド・ブラザーズ 】 (1970.12) 7inch/EPレコードですが、33 1/3rpm盤で全6曲収録されています。 ただ、不思議なのはこのレコードのレーベルです。 この時期のオズモンド・ブラザーズは、レーベルが DENON なのですが、なぜか後に移籍する MGM レーベルで日本グラモフォンなのです。 さらに、発売時期が1970.12となっていますがレコードを聴く限り、幼いマリーとジミーの声も聴こえるためレコーディング時期は不明です。 【 オズモンド・ブラザーズをあなたに vol.2 / DENON FOR YOU SERIES 】 (1971.2) A面 @ ゴールデン・レインボー A 明日に架ける橋 B面 @ スカボロー・フェア A アクエリアス 〜 レッド・ザ・サンシャイン・イン 7inch/EPレコードですが、33 1/3rpm盤で全4曲収録されています。 LP盤の 【 HELLO! THE OSMOND BROTHERS / ハロー! オズモンド・ブラザーズ 】 と曲が一部重複していますが、明日に架ける橋など、まさにオズ味で歌い上げている。 また、vol.2 になっているのは、レコード会社DENON の FOR YOU SERIES なのでvol.1 は他のアーティストでした。 ちなみに、vol.1は、”悲しき鉄道員” で大ヒットしたグループ ”ショッキング・ブルー” だった記憶?があります。 【 ワン・バッド・アップル / ヒーズ・マイ・ブラザー】 (1971.2) 全米ビルボード第1位! 説明の必要のない、彼らの代表作(出世作)です。 1970.12 ビルボード第1位に輝き、さらに翌年1971.2 Billboard Pop Singlesチャート5週連続に輝いた曲です。 【素晴らしい! 拍手!】 さらに、私の一番好きな曲 『ヒーズ・マイ・ブラザー』 がB面に収録されています。 当時は、プロモーションビデオがなかった時代だから知らなかったけど、この曲 " HE AIN'T HEAVY HE'S MY BROTHER " のイントロ部分の笛みたいな音は、ダニーがリコーダーを吹いていたとは驚きでした。 最近、YouTube を見て知りました...。 【 初恋天国 / キャッチ・ミー・ベイビー 】 (1971.5) 全米ビルボード第7位 (特典:ペナント付き ※ 「ペナント」とは、かつて観光地の土産物屋で一大ブームを誇った三角形の旗状のもの。) 当時、SWEET AND INNOCENT (邦題:初恋天国) は、ダニーのソロ? なのにジャケットの表記がなぜか 『オズモンズ』 です。 私はどちらかと言えば、B面のアランが作曲した ”キャッチ・ミー・ベイビー” の方が好きです。 スローなテンポで後半のコーラスの繰り返し部分が好きです。 【 課外教授 / ダブル・ラヴィン 】 (1971.9) 全米ビルボード第14位 私のお気に入りの曲 『CHILLY WINDS(邦題:課外教授)』 です。 この曲は映画のサントラにもなった曲で、ギターで始まるイントロ部分を何度も聴きながらギターコピーしていました。 映画 『課外教授』 を観たのですが・・・、正直、よく分かりませんでした...。 『ダブル・ラヴィン』 は、ビルボード第1位に輝いた 『ワン・バッド・アップル(ONE BAD APPLE)』 の第2弾として発表されたのですが、イントロが 『ワン・バッド・アップル』 に激似だったので、正直、笑っちゃいました...。 【 ゴー・アウェイ・リトル・ガール / 流浪の歌 】 (1971.10) 全米ビルボード第1位! ダニー・オズモンドを語るのには必要不可欠な代表曲です。 当時の彼は、まだ変声期前だったため伸びるハイトーン部分がなんとも甘くて素敵でした。 オリジナルのキャロル・キングよりも、ずっとダニーの方が良かった甘いラブソングです。 ただし、声変わりしてからは、この曲は歌い難かったと思いますね(笑) 【 クリスマス・ソング / オズモンズ 】 (1971.11) A面 @ メリー・クリスマス A 希望のささやき B面 クリスマス・メドレー オズモンズに改名してからの唯一、私が所有しているクリスマス・レコードです。 出来れば、LPで出して欲しかったと思ったのは私だけではないでしょう。 特にA面2曲目の希望のささやき (WHISPERING HOPE) は、オズモンズが歌うクリスマスソングで一番好きな曲です。 クリスマスアルバム (LP) と一緒に聴きながら、毎年、クリスマスを迎えています。 【 ヨー・ヨー / キープ・オン・マイ・サイド 】 (1971.12) 全米ビルボード第3位 深夜のラジオ放送を聴いていた時、突然DJが 『あのオズモンズの新曲のデモテープが今、ここに届きました!』 曲名は 『YO-YO?』 って疑いながら耳を澄ませて聴いていた記憶があります。 A面と同様、B面の 『キープ・オン・マイ・サイド』 も、ついジャンプしてしまいそうなご機嫌なナンバーです。 【 レイジー・リヴァー / 希望の光 】 (1972.3) 全米ビルボード第4位 イントロがなく、いきなりメリルのボーカルから始まる曲です。 今聴いてもご機嫌なナンバーですね、 【 パピー・ラヴ / ヘイ・ガール 】 (1972.4) 全米ビルボード第3位 変声期を迎えた頃の曲なので、今までとは一味違う甘ーい歌声が魅力なナンバーです。 【 ホワイ / ロンリー・ボーイ 】 (1972.10) 全米ビルボード第13位 バックコーラスに兄たちが参加している曲でもある名曲です。 発売は72年10月ですが、私は雪の降る年末にバスに乗ってこのレコードを買いに行った記憶があり、帰宅後もコタツに入りながら何度も繰り返し聴いていた好きな曲です。 【 ハートでジャンプ / ラヴ・イズ 】 (1972.10) 全米ビルボード第14位 【 クレイジー・ホース / ザッツ・マイ・ガール 】 (1973.2) 全米ビルボード第14位 巷でギターのリフとボーカルが格好いいと言われた 『クレイジー・ホース』 この曲は珍しく、ジェイがリードを歌ってメリルがサブだったという貴重な楽曲でした。 B面も良い曲ですね。 【 恋する年ごろ / ライフ 】 (1973.6) 全英No.1! 全米No.8のヒット ダニーが歌う素敵な甘〜いラヴ・ソングです。 年頃のダニーが歌うから「恋する年ごろ」なんて邦題が付いたのでしょうか? 【 ゴーイン・ホーム / アー・ユー・アップ・ゼア 】 (1973.8) 全米ビルボード第36位 アルバム 【 THE PLAN 】 からのシングルカット盤です。 とにかく終始、ご機嫌なナンバーです。 ただ、A面の ”ゴーイン・ホーム” だけ、なぜ 『モノラル録音』 だったのでしょう? また、B面のメリルが歌う ”アー・ユー・アップ・ゼア” は、兄弟の見事なコーラスと共に、いつ聴いても最高に感動する曲です。 【 ヤング・ラヴ / 想い出の初恋 】 (1973.9) 全英1位 / 全米23位 実は、ダニーが歌っている曲で私が一番好きな曲です。 ギターで始まるイントロ部分から好きで、ダニーの声変わり後のハスキーなボイスがこの曲のイメージにぴったり。 また、当時流行っていた曲間のベタなセリフ? そして 2コーラス目の入り方と次第に重なってくる兄弟のコーラスなど すべてにおいて大好きなナンバーです。 イギリスとアメリカでのランキングの差が気になりますが、名曲を上手く歌い上げたナンバーです。 ただし、この ”ヤング・ラヴ” も 『モノラル録音』 だったのが残念。 【 レット・ミー・イン / 人生の片道切符 】 (1973.11) 全米ビルボード第36位 アルバム【 THE PLAN 】からのシングルカット盤です。 特に ”レット・ミー・イン” はいつ聴いても名曲だと思います。 【 ロミオとジュリエット / ハワイアン・ウェディング・ソング 】 (1974.8) まさに、大人になったダニー・オズモンドの魅力ある歌声が聴ける曲です。 【 愛ある世界を求めて / フィーヴァー 】 (1974.11) イギリス・ヒットチャートNo.1を獲得! 全米ビルボードは第10位 この曲 『 Love Me For A Reason (邦題:愛ある世界を求めて)』 はカバーソングで、オリジナルは同74年のジョニー・ブリストル
【 THE OSMONDS 21Hits 】 ヒット曲を21曲にまとめたベスト版CD 【 DONNY OSMOND GREATEST HITS 】 (1992/06/02) ダニーのヒット曲を集めたベスト版CD 【 The ALL-Time Greatest Hits Of The Osmonds FAMILY (3CD-BOX仕様) 】 (2000/02/15) DISC 1 : Osmonds、 Disc 2 : Donny Osmond、 DISC 3 : MARIE OSMOND / DONNY & MARIE という3枚組ベスト版CD-BOX 【 CHRISTMAS ALBUM 】 (2001/11/05) 【 ULTIMATE COLLECTION (2枚組) 】 (2003/07/15) ヒット曲を集めた2枚組ベスト版CD 【 PHASE-V / LIVE 】 (2008/05/05) 2枚のアルバムを1枚のCDに収録したもの 【 THE DONNY OSMOND ALBUM / TO YOU WITH LOVE, DONNY 】 (2008/05/19) ダニーのファースト・アルバムとセカンド・アルバムを1枚のCDに収録したもの 【 The Very Best Of The OSMONDS 】 (2008/05/20) ヒット曲を集めたベスト版CD 【 OSMONDS / HOMEMADE 】 (2008/05/27) 2枚のアルバムを1枚のCDに収録したもの 【 CRAZY HORSES / THE PLAN 】 (2008/05/27) 2枚のアルバムを1枚のCDに収録したもの 【 Merry Christmas / The Osmonds 】 (2015/11/20) 購入先の AMAZON の記載によると2015年11月20日なので、最新の彼らの貴重なクリスマスソングアルバムと言えるでしょう。 ただし、参加メンバーは、メリル、ジェイ、ジミーの3人のようです。 いずれにしろ、オズモンド・ブラザーズの時代から彼らのレコードをほとんど所有していますが、クリスマスソングアルバムはオズファンとしては見逃せないアルバムです。 中でも、オズモンズに改名してからリリースした初のクリスマスソングの EP 盤 【 クリスマス・ソング / オズモンズ 】(1971.11発売) に収録されている クリスマスメドレー Caroling, Caroling / Here We Come a Caroling / Christmas Is Coming / We Wish You a Merry Christmas [Caroling Medley] が、 本アルバムのNo.12 に収録されているのが嬉しい! 1971年11月当時の彼らの若い歌声 (EP盤) と歳を重ねた彼らの素敵な歌声を聴き比べるのも、また楽しい!
【 『オズモンズ物語 〜 心をつなぐ歌声 〜 』 (原題:INSIDE THE OSMONDS) 】 1970年代に社会現象を巻き起こしたスーパーポップアイドル・オズモンズの絶頂期から80年代の破綻までを描いた音楽伝記ドラマ。 音楽的な変遷はもちろん、世界的な人気の裏側で生じた嫉妬や芸術的なぶつかり合いなどを明らかにした兄弟と家族の物語。 日本でも一躍、スターとなった仲良し兄弟とその家族が、人気の裏側で感じていた苦悩を初告白。 エンディングでは本人達も出演するサプライズ演出に拍手! 【 THE OSMONDS THE BEST OF MUSIKLADEN LIVE 】 オズモンズの全盛期の貴重なライヴを収めた映像集 ドイツの放送局ラジオ・ブレーメンで放映されていたTV音楽番組に残された貴重な映像。 【 The Osmonds Live 】 【 the Osmonds Crazy Horses 】 【最後に、オズモンズのDVD/CD/MDをまとめて ネット購入したDVDと再販CDと自作CD 自作したCD/MDの表と裏ラベル 以上が、私の所有している 『オズモンド・コレクション』 です。 オズモンズのファンとしては恥ずかしい程にコレクションの数が少ないですが、今でも 『大事に宝のように』 保管しています。 最後に、ここまで読んでいただいた方、つまらない内容に最後までお付き合いただき、ありがとうございました。 これで、『オズモンズ』 の事を少しでも知ってもらえれば嬉しいです。 ここまでが、私の大好きな 『オズモンズ』 なのですが、何か大きな間違いとか、誤解などあれば 遠慮なく、私宛に ご連絡 をいただければ幸いです。 ちなみに、トップページ からも私宛にメール送信が可能になっています。 また、気が向いたら更新します。 最後に... オズモンズのジャケット写真など、欲しい方はないと思いますが、このページに載せているレコードの ジャケット写真のオリジナルデータが、いつでも自由にダウンロードできます。 アクセス先は、ニコン が提供している ネットアルバム です。 それでは、ごきげんよう! 素敵な 『ダニー・オズモンド』 のお気に入り写真+α...で、さようなら。 ※ 些細なことですが、彼らの人気が国内で出始めた頃 (1969年から70年) 雑誌などの記事には、Donny Osmond の事を 『 ドニー・オズモンド 』 とか、 『 ダニィ・オズモンド 』 と記載されていることが多かったのですが、次第に 『 ダニー・オズモンド 』 と統一? されるようになりました。 このように外国人の名前をカタカナで表記する場合って、ファンクラブの方々が関係しているのでしょうかね? 未だに些細な謎? です ~_(^0^)_ 2015年 ジミー・オズモンドからいただいた直筆のサイン入り色紙 この色紙、ジミーから私、ナオへのメッセージ入りなので超幸せ! もちろん、額縁に入れた状態の 『家宝』 扱いです(笑) |
© Since 6.Feb.2000 |