“青獅子”のお話



 私にとって、唯一神秘に触れる、民俗芸能に触れる、とても身近な存在です。
 2008年9月14日、いよいよその日がやってまいりました。

 とはいえ、9月14日は午後4時ぐらいまで、名古屋付近をフラフラしているという状況。

 オッチャンの“傍迷惑な”閃きによって、急遽『青獅子』観覧に、進路を決めたのでした!


 さて、青獅子といいますと、オッチャンのキャパで民俗学的なことを申し上げても、…たぶん、
埒が明きません。
 ということで、 『中野市教育委員会事務局、生涯学習課』様のホームページから、内容を抜
粋(素直に申しますとパクって…)させていただきました。


 (↓詳しい説明を頂きました。)
 日本の民俗芸能の中の獅子神楽はその起原が不明でありますが、平安時代には大陸から
渡って釆た伎楽・舞楽の中にその要素が見られます。
 この獅子神楽が地方へ普及されたのは、大体江戸時代であります。そして、その普及の中
心になったものに、伊勢の御師が大きな役割をもっていました。

 安源寺の秋祭りに舞う青獅子も、この地方では特色のある珍らしいものですが、起原は寛文
5年(1665)の社殿再興祝賀祭のころから行われたといわれ、伊勢の御師系の芸能者から教わ
ったと伝えられています。
 いわゆる地方の獅子神楽伝承の典型的なものであるといってもよいものであります。

 ここの獅子舞いの中の青獅子といわれている部分は、神事的なものから、興行的な要素の
多い内容に変遷して来た部分が強く、その方面からも重視されるものであります。演目を大別
しますと、1.御幣立て 2.鈴神楽 3.青獅子 4.剣の舞い、とありますが、青獅子は親が二
人立ちの獅子に、子が一人の演技者です。服装は、親は普通の獅子舞いのものに、腹掛けを
かけますが、子の方は片方の足にウソカケを履き、他の方は長靴などを履いた滑稽な恰好
で、親獅子にじゃれます。
 親獅子は手作りの青い獅子頭をかぶり、前役と後役が肩車をしたり、つながったまま横転し
て曲芸的なことをします。暫く舞ってから、最後にその口と尾に着けた煙硝の筒に火をつけま
す。暗黒の舞台に火の波紋がはげしく揺れ、硝煙の煙が渦を巻いて充満し、その中を左右す
る獅子の動きが怪物の様相を呈する情景は、正に観衆にかたずを呑ませます。

…毒を喰らわば皿まで!生涯学習課様ページに掲載の画像も頂きます!

 さて、こちら(↑)の舞台は旧式の舞台です。
 新式の舞台(&お獅子)は、この通り(↓)です。

 がんばって同じ様な写真を撮影しました。(生涯学習課の皆様、努力に免じて…)

 ということで、全体の流れについては、来年の青獅子に御来場いただいて“学習”していただ
くこととして(…といっても駐車場ないし、境内広くないし、もし万が一、全国から人が殺到した
ら、えらいことになる)、オッチャンの“傍迷惑な”閃きにお付き合い下さい。




参道から境内を臨みます。


幟も、境内の両サイドに立てられます。


さあさ、今年の“青獅子”始まりました。(まずは、御幣立て)


剣の舞い


鈴神楽


青獅子のクライマックス…、の導入部分!


2人がかりの“青獅子”が立ち上がったところ!!


2人がかりの青獅子が頭を振って、提灯を打ち落とします。(残念ながら空振り)


提灯を打ち落とした瞬間!


滑稽なしぐさです。


まもなく縁起の演目の終了です。

 ということで、延喜式小内八幡神社、“青獅子”の熱き夜(気温はめっちゃ涼しかった)は、無
事に閉幕いたしました。


 さあ、来年も行きたいなぁ…。今度は、ちゃんと計画してお邪魔します!


 よろしくお願いします!(ヒロちゃんよろしくね!)




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